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学校帰りにジローさんから渡されたのは、俺が自ら購入する事は永遠にないであろう、派手なパッケージの菓子だった。

「どうしたんですか、これ」
「期間限定、デコレーションムースポッキー！」

それは見ればわかる。ただ、いつもジローさんが食べている何の変哲もないポッキーを
何故こうも嬉しそうに差し出してくるのかが判りかねる。
俺がよほど不思議そうな顔をしていたのだろう。ジローさんは

「ひよし、今日が何の日か知らないのか？」

もしかして、と言わんばかりに目を丸くして聞いてきた。

「今日は鳳の誕生日です」
「そうだけどそうじゃなーい！」

2月14日、あいつの誕生日以外にイベントなんてあっただろうか。
ジローさんがムースポッキーをくれるイベント……。
そういえば今日は教室に甘ったるい香りが充満していた。
だれもかれも浮足立っていて、跡部さんに従う樺地が段ボールと紙袋を抱えて……。
あ、そうか、今日は、

「今日はバレンタインだろ！」

俺が気がつくのとほぼ同時にジローさんが叫んだ。
だからこの人は、ピンクのハート柄の箱に入ったチョコ菓子をくれるというのか。
嬉しくないわけでは無いが、なぜだか恥ずかしい。

「でもバレンタインって、女性から男性に愛を贈る行事ですよね。しかも、それだって製菓会社の戦略ですし」
「そんな固いこと言うなって」
言いながら箱を開け、一本のポッキーを取り出すジローさん。なんだ、結局自分で食べるのか。
「くれるんじゃないんですか」
皮肉を言ったつもりだったが相手には全く効いていないようだ。それどころか
「うん、あげるから、はい、あーんして」
不意打ちを食らった。
「しませんよ」
「ひよしつめてえ！」
「するわけないでしょう、こんな道端で通行人の見世物になりたいんですか」
じゃあ家ん中ならＥの！？という提案を無視すると、本格的に拗ねてしまった。
ジローさんは路上の石ころを蹴飛ばしながらこう言った。
「えー、ひよしがあーんして食べてくれなかったら、早起きしてコンビニ行った意味ないじゃん」

…………早起きして、コンビニに行った？

確かに今朝は、珍しくジローさんが朝練に来ていた。
深く考えなかったが、ひょっとすると、コンビニでポッキーを買うために早起きをしたのか。
前日から準備をする女子もいるらしいが、当日に駆け込みで用意する人もいないとは限らない。
しかもこのムースポッキーは期間限定だという。
あまりコンビニを利用しないから何とも言い難いが、売り切れることもあるのかもしれない。
だからわざわざ早朝に……。

「ジローさん」

「んー」

「食べさせてくれませんか。……あーん、しますから」

決死の思いでそう呟いた。

「……ほんとに？」
「はい」
「ひよＣ！ありがとー！」
さっきまでのむくれた表情とは一転、弾けんばかりの笑顔を見せるジローさん。
すぐにポッキーを取り出し、こちらへ向ける。
「はい！」
「なるべく早く済ませますよ」
口を開けるとジローさんが「あーん」と効果音を付けた。顔がほてるのは冷えきった外気のせいだと思いたい。

ポッキーをかじると甘い味が広がる。掴み所のない食感に、くっきりとした輪郭を持った味。
まるで、ジローさんそのもの。
「……美味しいです」
自然と言葉が零れた。
こういう世俗的でゴテゴテした菓子を、初めて美味しいと思った。

結局ポッキーをもう一本食べ、残りは鞄にしまった。
そのあとはいつも通り他愛無い話をし、それぞれの家へと続く別れ道に差し掛かった。
「そーだ！ひよしからはバレンタイン無いの？」
「あ……えっと……」
今日がバレンタインデーだと気付いたのはついさっきだった。
それに、お返しは来月でいいかと考えていた俺は、答えに詰まってしまった。
「あー、そっか、ひよしはなんも用意してねーんだよな」
「すみません。来月でもいいですか――」
「じゃあこれでＥよ！」
素早く距離を詰めたジローさんは、俺の唇をぺろっと舐めた。
呆然と立ち尽くす俺に構うことなく走り去り、ぶんぶんと手を振る。
「甘かったー！ごちそーさま、また明日なー！」

ジローさんの背中が遠くの曲がり角で見えなくなってから、俺は我に帰った。

ふらつく足で歩きながら、こんな日常ってちょっと幸せかも、なんて思ってしまう自分も重症なのかもしれない。

それはわかしのくちびる